2025/11/4

 

X(蔑称)をほぼ見なくなって一か月経った。

それまでどう頑張っても一日最低一時間半は見ていたXを、この日を境にぱったりやめた。

一週目:見ていないのにずっとXのことを考えている。Xを開いたら見るであろう苛烈な投稿を想像して、開くのをやめる。XやめるメリットをChat GPTに聞いて確認する。Xを見ないことによって何かを見逃しているのではないかと気になる。Xより星新一の方が面白いと自分に言い聞かせる。
二週目:一週間Xを見なかったという達成感を得る。Xを見ないことによる精神的な変化を感じ始める。それをChat GPTに報告してモチベを上げる。
三週目:Xを見たいという気持ちが湧かなくなる。Xを開く理由が必要となる。読書ってまじ面白くね????と気付く。
四週目:秋季キャンプが始まったので度会くんの写真見たさにチラチラッとXを見る。一度見始めたら止まらなくなるのを危惧したけど、意外とそうでもない。引き続きリバウンド注意。

Xを見ていた時間は、ほとんど読書に費やしている。湯船で毎日柚木麻子さんの『らんたん』を読んでいて、至福のひととき。(間も無く読み終わってしまうのが寂しい)電車ではその日の気分で文庫本や新書を。乗り換え少なく、片道一時間以上電車に乗るときは読書タイムだ!って嬉しい。図書館で借りた本を一気読みしたいときは友達の家にお邪魔する。お仕事してる脇で本を読むのが集中できて捗る。読書を始めたら、「知りたいこと」に対する「情報量」は書籍が圧倒的だとわかった。

私はTwitterで人の生活を見るのが好きだった。「今なにしてる?」の精神を失ったXは、私に怒りや悲しみの感情を適切に「おすすめ」する。時々楽しそうなこと、面白いこと、お役立ち情報や「知っておいた方が良さそうなこと」を混ぜる。砂の中の砂金のように。砂金すらも、本当は無くて困らないものだったと気付いた。かつてのTwitterのように、ユーザーは少ないけれど「生活」を見れるBlueskyとmixi2で事足りている。みんなこっちにおいでよ、と思いつつ、多くは来ないだろうとわかっている。

Xを完全に辞める気はない。フォロワーさんのことは大好きだし、会ったことがなかったとしてもお友達だと思っている。こんな私がぽつぽつっと呟いたことにリアクションしてくれると砂浜で見つけた綺麗な貝殻みたいに嬉しい。でも、ゴミだらけの海岸を歩くのは、もう嫌だ。

 

 

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