2024/4/18

映画『成功したオタク』

alfazbetmovie.com

推しが性加害で逮捕された。私は、私たちは、どうすればいいんだろう。
あるK-POPスターの熱狂的ファンだったオ・セヨンは、「推し」に認知されテレビ共演もした「成功したオタク」だった。ある日、推しが性加害で逮捕されるまでは。突然「犯罪者のファン」になってしまった彼女はひどく混乱した。受け入れ難いその現実に苦悩し、様々な感情が入り乱れ葛藤した。そして、同じような経験をした友人たちのことを思った。
信頼し、応援していたからこそ許せないという人もいれば、最後まで寄り添うべきだと言う人もいる。ファンであり続けることができるのか。いや、ファンを辞めるべきか。彼を推していた私も加害者なのではないか。かつて、彼を思って過ごした幸せな時間まで否定しなくてはならないのか。
「推し活」が人生の全てだったオ・セヨン監督が過去を振り返り傷を直視すると同時に、様々な立場にあるファンの声を直接聞き、その社会的意味を記録する。「成功したオタク」とは果たして何なのか?その意味を新たに定義する、連帯と癒しのドキュメンタリー。

韓国には「成功したオタク」を意味する単語があるらしく、それが原題なので邦題が「成功したオタク」になっている。日本で言う「TO(トップオタ)」に近いかなぁ……?そのまんまの言葉がないだろうから、ちょっと意味合いが違って聞こえて難しい。

この映画が面白いなと思ったのが、オタク"に"カメラを回したのではなく、オタク"が"自らカメラを回してドキュメンタリー映画を作成したこと。客観ではなく主観であることがめちゃくちゃでかい。他人が撮ったドキュメンタリーだとこんな風に熱が伝わらない。オタクが持ってる熱量と、「マジ」だからこそのおかしみ、愛おしさが損なわれずに伝わる。「推しの逮捕」とか本当に洒落にならないんだけど、笑えないんだけど、例えば「グッズの葬式」の絵面ひとつ取っても「オタクの本気」の中にあるユーモアに笑ってしまう。最初笑っていいのかわからなかったけど、だんだん笑っていいように作ってあるんだってわかった。監督が「成功したオタク」だったの、こういうところなんだろうな~。映画の中には推しに認知された瞬間の映像も入ってて、うひゃ~!ってなった。覚えられたいから韓服着てイベントに行ったらしい。なるほどな……あるよな……。それが全部映像で残ってるのがすごい。

この映画を見たきっかけは、朝日新聞で記事になってて、そこに松谷創一郎さんがコメントしてたから。

推しがスキャンダルを…葛藤するファン 私たちは被害者?加害者?:朝日新聞デジタル

いまこれを観てほしいのは、旧ジャニーズのファンたちです。オ・セヨン監督の推しと異なり、ジャニーズの場合は会社の不祥事でした。しかし、残念なことにファンが積極的に会社にはたらきかけて状況を改善する動きはほとんど見られませんでした。多くのファンは、戸惑いながらも声をあげることはほとんどなかったのです。

この作品は、そんなジャニーズファンにも自分と推しの関係を整理する大きなヒントを秘めていると思います。

松谷さんだし、「お前らこれを見てもっと現実と向き合え」って意味で勧められてるんだと思った。もしかしたら本当にそういうつもりで勧めてたのかもしれないけど、見たオタクとしては、この映画から説教臭さとかオタクとしての教訓みたいなものは感じなかった。むしろ感じたのはオ・セヨン監督からの励ましというか、「簡単に割り切れるものじゃないよね」「だって本当に好きだったんだもん」「嫌いになっても、"好きだったこと"は変わらないし変えなくてもいい」みたいな労い。見た人によって受け取り方は違うかもしれないけど、私はそう感じた。

映画の中で印象的だったシーンは本当にたくさんあるんだけど、その中でも「もう捨てるから」って全部のグッズを出してきて、ひとつひとつ友達と「このアルバムが一番好きだった」「これはあの時のグッズ」って思い出を振り返りながら捨てていく場面が刺さった。本当に全部捨てるつもりだったのに、大切に大切に梱包された状態で出てきた「これは推しが触れたもの」というカテゴリ、直筆のメッセージやサインが入ったグッズだけは特別で違った。捨てるつもりだったのに、見てしまったらどうしても捨てられない。「物」じゃなくて「思い出」だから、あの頃の「大好きだった気持ち」は本当だから。わかるよ~~~~。身に覚えがあるし、そういう人をたくさん見てきた。複雑でちぐはぐで当然なんだよね。

 

私は「NEWS」は好きだけど「ジャニーズ」そのものにあまり思い入れはなく、ジャニー氏への思い入れはもっと無かった方のオタクなので、去年の件があったときも「好きだったものが崩れる」みたいな感覚はあまりなかった。思い入れがあって好きだった人の方が、何倍も辛いだろうなと思っていた。松谷さんみたいに「ジャニオタ見ろ」とは思わないけど、自分自身が誰かのファンだったり、オタクという生き物が好きな人は、見たら刺さる部分がたくさんあると思う。「何かを好きなことによって救われていた自分」というものは、どんなときも、何があっても否定しなくていいと思う。(擁護のあまり陰謀論にハマるのは別の話だけど!)(パククネ支持者が韓国であんなことになってると知らなかった)(本当に私は政治と宗教にハマる前にアイドルにハマって救われた)

 

映画の最後の方で、「幸せな推し活ってどういうことだと思う?」と聞かれたファンの人が、「"推す"ってそれ自体が幸せな行為なんですよ。推しが罪を犯さなければ」と答えていた。映画の中でインタビューを受けていたファンの人たちの多くは、推しの逮捕で傷付いたのは確かだけど、また新たな「好き」を見つけて熱中していた。それがめちゃくちゃ良かった。映画館で見られるチャンスは今後あまり無いかもしれないけど、もしも配信とかされたら気になった人には見て欲しい。良い映画でした!

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追記

さっき貼った新聞記事(監督のインタビュー)がとても良い内容だったのでメモ。

友達や同年代のファンと話していると、好きだった推しのことを「あいつは悪いやつだ」と悪態をついて終わることが多かったんです。でも母は、彼の存在のおかげで私が乗り越えた経験を思い出して、目頭を熱くしながら「あのときはありがたかったよね」と語りました。私にとって新しい視点でした。

 母は大事なことを話してくれました。「彼を好きだった過程が大事であって、彼がどういう人間かという結果は大事ではない」と。誰かを好きになる行為を通して、自分がどのような人間になっていくのか。それが重要なんじゃないでしょうか。

 映画を撮りはじめたときは怒りに支配され、裏切られた気持ちでしたが、いまはあの人が好きだったときの自分が幸せだったことは間違いがなくて、その経験があったからこそ今の自分があると認められるようになりました。

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更に追記

実はこの映画を見た4月18日って加藤シゲアキさんの「入所記念日」と呼ばれる日なんだけど、私はこの「加藤さんの入所記念日」を祝ったことが一度もない。コヤマスはあるんだけど、加藤さんについてはない。そもそも「事務所に入った日を祝う」ということ自体がかなりのカルチャーショックというか、少なくともハロプロではそんなもの無かったから「そんなことも祝うの!?」って驚きだった。なので祝う感覚がわからなくて長らくスルーしてきたけど、去年のことがあってからいよいよ、自分が祝うことは一度もないだろうなと思った。あの事務所に入ったことって、本当に幸せなことだったのかなぁ。わかんないけど、加藤さんが「入所記念日」という言葉を使わずに「芸能活動を始めた日」と言うところは好きだ。別に、祝う人がどうとか入所記念日と言うタレントがどうとかって話ではなくて。なんか、もしかしてそういう人他にもいるのかな?と思って話したくなった。深い意味はないよ!それだけ!