2023/9/9

おじいちゃんちに行った

退院したおじいちゃんに会いに家に行った。一週間の予定だった入院が三週間に延びて、随分足腰が弱ってしまった。これまでは台所でテレビを見ながら出迎えてくれたのに、今日はベッドで寝ていた。もう台所にも行けなくてずっとベッドにいるらしい。食も細くなって、持って行ったカツ丼(好物)は少ししか食べれなかった。でも「食べやすいように細かくしてほしい」といつも頼んでるらしいのにカツ丼は「このまま食べれる」と言ってそのまま食べた。いらないかなと思ったけど味噌汁も飲んだ。

いつものようにホワイトボードを使って話した。昔のことを聞いてみようと思って、どんな仕事をしていたのか聞いた。以下色々箇条書き

・毛糸を仕入れて、小売用に小さな毛糸玉に加工する会社?をやっていた。自営。

・毛糸はイギリスから商社が仕入れていた。大阪の機械屋さん(大手と小さいところの二社あったけど、小さい方)の社長がとても良くしてくれて、安く中古の機械を売ってくれて、色んな助言をしてくれたから事業が上手くいった。

・そもそも毛糸屋さんを始めたのは、友達がその仕事を始めたので同じことをやった。

・初めての仕事だったけど、上手くいって借金もなくてやればやるだけ儲かった。事業を畳むときは取引先?に機械を全部あげた。

・生まれは東京で小さい頃は中野に住んでた。環七は昔は道幅が車両一つ分ぐらいで、そもそも車なんて全然通ってなかった。自動車はわざわざ大きな道路まで見に行くぐらい珍しかった。道幅が大きくなってから、大きな建物が建つようになった。

・中野から世田谷に引っ越した。結婚してから小平の都営住宅に住んだ。お風呂がなかったので、風呂桶を買ってきて玄関の脇?に置いてお風呂を作った。ご近所付き合いはあったけど、回覧板を回す範囲ぐらい。

・テレビは一般家庭の中では割と早めに家にあった。カラーテレビになった時は「そりゃびっくりしたよ!」テレビが家に来る前は、大きな出来事があった時に街頭テレビを見に行った。

・おばあちゃんとはお見合いで出会った。社長?の紹介。

 

いつも私から質問したりしておじいちゃんが答えるけど、今日は珍しくおじいちゃんから「3歳ぐらいの時に、そこの側溝の穴に足が落ちちゃったんだよ。それなのに無傷でね、それぐらい脚が細かったんだよ」と自分から話してくれた。私もその記憶があって、でも私の記憶だとその側溝の中から出てた鉄の棒みたいなのが刺さって大怪我したから、もしかして……2回落ちてるってこと……?!?どっちにしろめちゃくちゃ危ない。

 

おじいちゃんは色々話してくれたけど、聞いても「覚えてないな〜」と言うことも多くて。この会話も、私はいつか忘れちゃうと思うから、書き残すって大事なんだと改めて思った。家に遊びに行くと、毎回玄関まで見送りに来て、車が見えなくなるまで手を振ってくれていたけど、そんなおじいちゃんの姿を見るのは前回が最後だった。小さい頃から大のおじいちゃん子だったから、かなり寂しい。お母さんが買ってきた全然甘くない固い桃を食べて、「まだ早すぎるね。はやはやだよ」って笑った。「私は葡萄が好きだよ」って言ったら、「小さいのが美味しいよね。デラウェア!」って。私がデラウェア大好きだから、いつも家に行った時は用意してくれてた。おじいちゃんもデラウェア好きだったのか、どっちが先なのかよくわからない。あー泣いちゃいそう。可能な限り会いに行きたい。

 

***

思い出したこと追記。

小さいころ、おじいちゃんに近くの夏祭りに連れて行ってもらった。(一度や二度ではなく)

自転車の後ろに乗せていってもらって、持ち帰った金魚すくいの金魚はおじいちゃんちで育ててもらった。台所に金魚の水槽を置いてもらった。

いつだったか、自転車の後ろから一人で降りようとして失敗して、金魚を落としてしまった。勝手に降りようとしたので、ごまかそうとして大泣きした。その金魚がどうなったかはわからない。なんかずっと苦い記憶になっている。

ホワイトボードに金魚落として泣いちゃったんだよね、って書いてこのことを話したら、おじいちゃんは覚えていなかったけど笑って、「そっかあ。大事だったんだもんね」と金魚が大事だったから泣いたみたいに言った。そういうことにしちゃおうか。