同じ時代に生きる私たちだから

 

何やってんだよ私は

 

考えなきゃいけないこと全然考えてなかった!!あーーーー恥ずかしい!恥ずかしい!!なんのために二年も朝ポキ聴いてきたんだか!!!(なんのためでもない)(暇つぶし)

 

ジャニーズ事務所の報告書が公表された翌朝、とある文春記事が出回った。(事務所の件とは一切関係のない、別の事例)

記事の要点を掻い摘むと

・某番組を最近になって急に降板したタレントは、未成年の共演者を自宅に連れ込んでいたことが降板理由だった。

・未成年の保護者から番組に相談があり、複数回そのような事案があったと番組側が把握した。

・この件について所属事務所からタレントに聞き取り調査を行った。

・保護者から「同じ番組に共演させたくない」という申し出があり、番組側が受け入れた。

 

この件、検索すればすぐ記事が出て来ると思うけど、マジでタイミングがタイミングなだけに発狂しそうになった。でもこの件から学べることが実は多くて、未成年を守るためには、この対応が本来あるべき姿ではないかと思った。これを当たり前にするためには、何が違ったのか考えないといけない。一緒に考えよう。お願いします。

 

1.周りの大人が気付いている

先の事例だと、保護者が「これはおかしいかもしれない」と気付いている。これ、この場合は異性の共演者だけど色んなパターンが考えられる。学校の先生、塾講師。もっと違う繋がりの大人。一対複数なら安全とも限らないし、同性なら安全とも限らない。気付くために、色んな事例を「知っておくこと」がとても大事だ。

 

2.気付いたときに、伝える先がある

さっきの続きになるけど、保護者が気付いたときに番組と、番組を通じて事務所にきちんと話が通っている。どこかで途中で消えたりしてない。

「そんなの気にしすぎですよ」ってつい言ってしまうこと、思ってしまうことってある。そうじゃなくて、「おかしいと思います」と言われた時に、まずその言葉を重く受け止めて事実確認をする。このステップがすごく大事で、検討の余地なく当たり前であるべきだと思う。

 

3.何かが起きる前に、未成年から離す

降板したタレントは「指一本触れてない」「夜ではなく昼間だった」みたいに弁解しているらしい。Xでも、「何も起きてないのに」「未成年は自分の意志で行ってるのに」と擁護するアカウントがいた。それに対して、「何かがあってからでは遅い」と言った人、その通りだ。未成年は共演者で、きっと親しくしてもらっている。だからこそ、本人任せは尚更危険だ。「グルーミング」という言葉とその意味が、これを機に「誰もが知る言葉」になって欲しい。

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グルーミング(チャイルドグルーミング)とは、子どもからの信頼を得て、その罪悪感や羞恥心を利用するなどにより、関係性を操る行為です。特に、子どもを手なずけることによって、性的な接触・搾取をする目的で行われるケースがよく見られます。

 

 

 

どうして、これらの対応を当たり前にできなかったのか。理由はたくさん考えられるけど、事務所の中の出来事はどうしても私たちからは距離が遠い。だからもう少し自分ごとに引き寄せて考えたい。

 

・「同性間」の性被害に対する意識の低さ

意識の低さ、あるいは警戒心の低さ。そしてこれが、被害を受けた本人たちを黙らせてしまうことにも繋がった。同性間の出来事だからより一層恥ずかしい。あるいは、出来事を話しても信じてもらえない。

恥ずかしいけど、この意識の低さは私自身にもある。同じような事例について、異性間の出来事に置き換えた途端に感じ方が全然違ったりする。同性間のとき、何よりも先に「本当に?」と思ってしまう。思ったとしても絶対に、本人に届く言葉にしてはいけない。肝に銘じておきたい。

 

・「事務所」へのこだわりの強さ

2023年の今は、事務所を辞めるタレントも多いのでだいぶ違うかもしれない。でも数年前まで「ジャニーズ事務所を辞める」ってとんでもないことだったし、「ジャニーズ事務所からデビューしたい」、あるいは「ジャニーズ事務所じゃないと意味がない」という価値観も今よりも強固だったように思う。そんな時に、もしも「あなたは他の事務所からデビューしても正当に評価されて、成功できるよ」と言ってもらえたら。言ってもらうまでもなく、それが当たり前のことだったら。少なくとも傷付くまで我慢させずに済んだのではないか。

自分はどうだろう。事務所を離れて行った人たちをどんな風に見ていただろう。事務所にいた頃と同じぐらい活躍すると思っただろうか?否、同じ人なのに全然そう思えなかった。なんでだろう?何がそうさせたんだろう?「事務所の魔法」ってどこにある?

 

 

・「話すこと」を恐れさせるもの

今の時代ならSNSの存在が大きい。被害を話すことで、「そんなの嘘だ」とSNS(主にTwitter)で攻撃される。それを嘘かどうか判断するのは私たちじゃないのに。(事実かどうかを判断する部分は、正式な調査をする人たちや司法に委ねないといけない)(何年も前のことなら、細かな記憶違いは誰でも起こり得るからなおさら)

嫌な話を信じたくないのは仕方ない。誰だって、心の防衛反応としてそれは起こる。それでも、まずは被害者に話してもらえないと始まらないから。「被害を話した人を攻撃しない」、この一線は絶対に守られて欲しい。欲しかった。

 

 

・「気付いてあげられる大人」「信頼できる大人」になること

以前、帰宅途中の道で一人で歩いている6歳ぐらいの女の子がいた。「私は間もなく家に着くけど、今私がいなくなったら、この子は誰もいない道を一人で歩くことになってしまう」と思い、歩くスピードを落とした。私の家に着く少し手前で、その子は四人ぐらいのお友達と合流した(その中にはもう少し年上に見える子もいた)ので安心した。

また別のとき、マンションの駐輪場にゴミのようなものが散乱していることがあった。その中に、子どもの名前の書いてある幼稚園バッグがあり、「これは本当にゴミなのか?」と不安になって児相に電話をした。その後どうなったかわからないけど、児相はきちんと話を聞いてくれた。

こういうことで良いのではないかと思う。

実際に子育て中で、子どもと接点の多い大人ならもっとそういう場面が多いと思う。直接相談されることもあると思う。事務所の中で起きていたことを、直接的に止めることはできなかった。でも、大人が目を配り、気付くことが当たり前だったら。事務所の中でも、そうだったら。

これから先を変えていくのは、私たちも一緒なんだ。

 

 

 

同じ時代に生きていて、この出来事を目撃してしまった私ができること。きっとこれだけじゃないけれど、最低限、これだけでもやっておきたかった。

このブログは毎日、ありがたいことに200人ぐらいが読んでくれている。私一人だと何も変わらない。でも、この気持ちが少しでも広まってくれれば、「安心できる目の届く場所」がこの社会の中で増える。そうであって欲しいと思った。

読んでくれてありがとう。あなたのお陰で、少し何かが変わりました。