前に書いて実験的にnoteで匿名で公開して上げたり下げたりしてたのを供養しました。加藤シゲアキさんの話です。
自担は、あまりファンサをしない人だと言われる。
サービス精神旺盛な他のメンバーが目に入るファンサうちわに応えてどっかんどっかん湧かせている一方で、自担は笑顔も少なく、時々頷いたりしながら小さく手を振っているだけだ。だから傍から見たらそう思われて当然だと思う。でも、彼のうちわを持って入っていると、そうは感じない。
自担のファンサで「彼はこういう人なんだ」と思った出来事があった。数年前のツアーの際、とある会場で見切れと言っていいようなステージ真横の席だった私は、彼から人生で二度目のファンサを貰った。普通は人生初ファンサの方が色々とセンセーショナルで記憶に残るのかもしれないが、私はこの二回目の方がより強烈に、鮮烈に覚えている。
私がいた場所は見切れ席の中でも、スタンドトロッコが通る通路の一列前、乗り降りする場所の近くでもあった。トロッコが通るのだから席に着いたときはそれはもう期待したのだが、いざスタンドトロッコの出番が来ると士気はダダ下がった。トロッコに乗りに来た他のメンバーは、それはもう近くまで来たが、自分がトロッコから完全に死角の場所にいることをまざまざと実感させられた。メインステージにいる時はほぼ横顔しか見えず、サブステージにいる間は後ろ姿しか見えない。メインスクリーンだって猛烈な角度がついて機能していない状況で更にトロッコからは死角だなんて、いくらなんでも悲しかった。反対側でトロッコに乗りこんだ自担はしばらくしたらこっちにやって来るが、きっとさっきのように慌ただしく、一瞥もくれず去ってゆくのだろう。終わった。そんな絶望的な気持ちでもコンサートは楽しみたいので「後ろ姿も可愛いなぁ」なんて遠くのメンバーを見てペンライトを振っているうちに、自担を乗せたトロッコが近づいてきた。嬉しい気持ちと同じぐらいかそれ以上に、複雑な気持ちが膨らんでいた。
自担を乗せたトロッコは私の真上、目と鼻の先で停まった。そして、あとはもう降りてメインステージに戻るだけなのに彼はなかなか降りなかった。なかなか降りずに、いつものように小さく手を振りながらブロックの全員と目を合わすように視線を動かしている。自担を前に硬直している私の隣で、他担の友人が彼の名前を何度も呼んだ。彼の目線の先がだんだんと近づいてきて、最後は私の列だった。ほとんど覗き込まれるように彼と目が合い、息が止まった。小さな手振りは一貫して変わらなかったが、私と目が合ったその瞬間だけ、その眼差しが「いたいた」と言っているように見えた。程なくして彼はトロッコを降りて素早くメインステージへ戻り、席へへたり込んだ私の隣で友人は「良かった、良かった」と号泣していた。そして終演後、「目合った?」と聞かれて頷くと、彼女はより一層喜んだ。順番に見ていたのだから彼女もそうだったはずだと聞くと、きょとんとした顔で首を振った。
「あの人は、自分のファンしか見ていないよ。さっきだって全然私のことは見向きもしなかったもん」
いやいや、まさか。そんなことは無いでしょ。
後日、別の友人にこの話をした。そんなことないよね、と聞くと彼女はやはり唖然としていた。
「今まで知らなかったの?」
これまでに浴びていた彼からのまなざしが、全て意味が変わった。
あれから数年経った今も、自担はファンサが少ないと言われている。「○○して」のような所謂ファンサうちわにも応えず、笑顔も少なく、時々頷きながら小さく手を振っている。私が他のメンバーの投げキスやエアハグなどの多彩なファンサを目撃しては喜んでいるのを見て、他担の友人から「自担はあれでいいの?」と聞かれたこともあった。そんな時はいつも、へらへらして、自担はあれでいいんだよ、と答える。自担だから、あれがいいんだよ。と思っている。
分け隔てなく満遍なく、ほとんど個別ファンサもないように見える彼が、本当は自分のファンだけを特別に扱っていること。彼が、彼を愛するファンにだけひっそりと愛を返していること。自担と目が合った瞬間の高揚感、あの大きな瞳がきらっと輝く瞬間に爆発する喜びを、私の友人は知らないこと。このちいさな特別感こそが、自担がくれる最高のファンサだ。いつまでもいつまでも、ファンサが少ないね、と言われる自担でいてほしい。