恋するピアニスト フジコ・ヘミング
映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』公式サイト|2024年秋 新宿ピカデリーほか全国公開
シネマチュプキで見た。土日の予定が急に無くなったので、じゃあシネマチュプキ行こうかな~と思って上映作品のラインナップを見て選んだ。見たい作品が他にもあったのでかなり迷ったけど、シネマチュプキは音響が良いので良い映画体験になるだろうと思ってこの作品を選んだ。
フジコ・ヘミングさんは今年の春に亡くなったピアニストで、この作品は人生の最後の4年間を撮影したドキュメンタリー映画だった。とはいえ、亡くなられる直前までお元気だったそうで、元気そうな姿だけが映画で見られる。事前情報として知っていないと、この後すぐに亡くなってしまうとは思えない。本当は2024年もいくつもピアノコンサートを予定されていたらしい。
映画の始まりは2019年、新型コロナのパンデミックの前。フジコさんのアメリカでの生活から始まる。スペイン風建築の素敵なおうち、愛犬と愛猫、アメリカのスーパーマーケットや美容室。フジコさんは見た目も振る舞いも、ジブリ作品に出てくる魔女みたいだった。インテリアとお洋服も、お洒落なだけでなく「こういうものが好きなんだろうな」ってわかる。湯婆婆の部屋やハウルの部屋みたいに、”物がたくさんあるけど統一感があって洒落てる”みたいな。こういう家に住みたい~~って思った。フジコさんはアメリカの家も、この後に出てくる日本の家も、「(建築物として素晴らしいから)自分が死んだ後も残して欲しい」と言う。取り壊してアパートを建てるとかとんでもない。気に入った服を何十年も綺麗に着てるし、大正時代の着物をステージ衣装として着ているし、気に入ったものをずっと大事にしたい人なのだと思う。それこそ、自分が死んだ後もずっと。
こうしてドキュメンタリーを見たりインタビューやエッセイを読んだりする度に、「他人の人生っておもすれ~~~~」と思う。世界的ピアニストって音楽一本で生きると決めた、強い意志と才能のある人かと思ったけど、フジコさんを見てると「なりゆき」とかそういうものも人生に強く影響すると感じた。言われたからやってみるとか、嫌いじゃないから続けるとか。もちろんそれだけで世界的に活躍するアーティストになれるって話じゃないけど、現代って音楽や芸術で食べて行く方が大変だから、何か強烈な動機や執着がないとそれで食べていく人にはなれないと思っていた。フジコさんのお母さんは、(自分が男運が悪かったから)娘が一人でも生きて行けるように、手に職をつける意味でピアノを始めさせた。(自分と同じように、ピアノの先生として一生食べていけるように)そうしてピアノを始めて、辞めなかったから最終的にフランスの有名な劇場で演奏するようなピアニストになった。「何者かになること」や「何かを成し遂げること」を目標や目的とする人生とは全然違って、フジコさんの時々ぶっきらぼうにも聞こえる言葉は聞いてて心地よかった。良くも悪くも飾らない。逆に「ピアニストになりたい」人がこの映画を見たらどう思うのか気になる。フジコさんの才能に打ちひしがられたりするのだろうか。
コロナ禍でパリの家を離れていた間に、泥棒が入って家を荒らされた。でも、宝物は一つも盗まれなかったと言ってフジコさんはガラス戸棚を開けた。中に入っていたのは泥棒から見たらガラクタみたいなものばかりで、そのひとつひとつを出してフジコさんがカメラに見せた。亡くなった愛猫が噛んで歪んだボタン。パリの路上で売っていたプラスチックのカチューシャ。自分が作ったお人形。お気に入りのぬいぐるみが着ていた服。そういえば映画の最初の方で、自分の内面は16、18だった頃から変わらないと言っていた。それなのにこんなに年取っちゃって、なんてぼやいたりもして。
世界的ピアニストとして大きなホールで演奏するフジコさんは凄いけど、その姿以上に、こうして宝物を見せるフジコさんを「いいなあ~~~~」と思った。「年相応」という言葉に呪われて、お皿一枚買うことすら躊躇したことのある自分がバカバカしい。私もああなりたいと思った。