2024/11/26

おじいちゃんの葬儀だった。朝一で父の運転で葬儀場へ。棺に入れる用に紅花のドライフラワーを一本と、おじいちゃんに書いた手紙を持って行った。最近Xで喪服着用時のストッキングがどうのみたいな投稿がバズってた(炎上?)けど、家族四人だけだし、おじいちゃんは私が寒い方が嫌だろと思って普通にタイツを履いて行った。
葬儀の会場に入るとがらんとした部屋に大きな祭壇(多分これでも小さい方だと思う)があり、おじいちゃんの遺影が飾ってあった。今どきは遺影もモニターで写真を出す方式なんだな。遺影用の写真はあらかじめ撮ってあったらしいけど、私が提供したおじいちゃんとおばあちゃんと三人で撮ったときの写真が良い表情だということでそれにしてもらった。全身を映すとおじいちゃんはエアロバイクにまたがってるんだけど、遺影にするときは良い感じに顔のアップなのでバレない。まだ顔がふっくらしていて健康的だ。おばあちゃんが一緒だから、多分5~6年前。

新潟から呼んだお坊さんはおばあちゃんの時とは違う人だった。先代の坊主はおばあちゃんの葬儀のときに説教してきたのですごい嫌だった。また説教されたらどうしようと思って身構えてたけど、こっちのお坊さんは良い話だけをしてくれた。おばあちゃんの命日はお釈迦様の誕生日で、おじいちゃんの命日も何か寺にとって大事な日らしい。そういえば今日は叔父さんの誕生日だと葬儀の前にお母さんが言っていた。自分の誕生日に父親の葬儀を執り行うって複雑な気持ちなんだろうか。お母さんはおじいちゃんが亡くなった直後に泣いていたけど、叔父さんは取り乱さない。家族葬ということで今日も両親と叔父さんしかいないけど、みんなどんな気持ちでお経とお坊さんの話を聞いているんだろう。私は足が冷えて寒かったので「寒い」しか考えられなかった。靴に入れるホッカイロを準備しておくべきだった。

葬儀の時も、火葬場に着いてからも「これで故人と最後のお別れです」と何度か言われた。これで棺を閉めるから。これから火葬してしまうから。棺にお花を入れた後、お母さんと叔父さんは「今までありがとう」みたいなことを順番に言ったけど、私は何も言わなかった。何か言ったら泣いてしまうし、私が泣いたらお母さんが泣いてしまうから。伝えたいことは全部手紙に書いてきて棺に一緒に入れたから大丈夫。そういえば、うちにあったドライフラワーのべに花もおじいちゃんに分けてあげようと思って二本のうちの一本を持ってきた。私が入れようと思っていたのに叔父さんが入れてしまったのでそれだけ残念だった。叔父さんはちょっと気が利かないところがある。

これでお別れだと言われる度、「そんなことないのに」とピンと来なかった。お別れならもう病室で済んでいる。今、棺の中にいるおじいちゃんはおじいちゃんのように感じない。触れられるのは最後だと言われて頬に触れたけど、ファンデーションを塗りたくられて粘土のようだった。おじいちゃんの手の感触を上書きしてしまいそうで、ちょっと触ってすぐにやめた。これ以上のお別れはないと思いたかっただけなのかもしれない。

おばあちゃんと同じ火葬場でおじいちゃんも火葬され、一時間後には白い骨になった。お骨を骨壺に入れるのを見ながら「おばあちゃんの時とは感じ方が違うんじゃない?」とお坊さんから聞かれたけど、「この骨壺に全部入らなくない……?」しか考えてなかったので、「はあ、まあ……」って感じで期待されたようなことは何も言えなかった。おじいちゃんの骨は太くて立派だった。長生きする人はみんな骨が太いらしい。おじいちゃんも95歳で亡くなったので、男性で95歳はとても長生きだとお坊さんが感心していた。お母さんは「100歳まで生きるかもしれないとつい最近も思っていた」と言っていたので驚いた。私は3月頃に、おじいちゃんは春を超えられないかもしれないと焦った。100歳なんて、とてもじゃないけど無理だったよ。あと5年も生きるのは大変だったと思う。

おじいちゃんのお骨は全部骨壺に入り、葬儀はつつがなく終わった。納骨は年末になるらしい。日程的なこともあるし、何より真冬の新潟で喪服を着ることに自分が耐えられそうにないので、納骨は欠席することにした。おじいちゃんも、私が寒い思いをする方が嫌でしょう。良い判断をできたと思う。

おじいちゃんとおばあちゃんが住んでいた家が今後どうなるのかわからない。今後遺品を整理するらしいけど、整理した後はどうするんだろう。父親が転勤族で社宅にしか住んだことのない私には、懐かしの実家みたいな家がない。その分、おじいちゃんちの方が思い入れが深い。あの家がなくなったら悲しいけど、私が好きだったのはおじいちゃんとおばあちゃんが元気だったころの家だから、ある意味「もう既に無い」。なんなら、おばあちゃんが亡くなっておじいちゃんがほぼ寝たきりになってから変わり果てていた。いつもいた台所は、雨戸を閉め切って暗かった。テレビがあった場所はおばあちゃんの仏壇になった。日向ぼっこしていた縁側の椅子は、洗濯物が積まれて座れなくなった。そういう変化こそ悲しかった。

今、おじいちゃんとおばあちゃんは一緒にあの家で暮らしているだろう。夜布団に入って、眠りにつく前にかつての景色を想像した。玄関から家に入ると台所からテレビの音、ドアを開けるとあの椅子に座っているおばあちゃん。金魚の水槽。食材がいっぱいの冷蔵庫、私が好きなデラウェア。廊下を進んで居間。おじいちゃんの寝室。縁側の椅子、障子の向こうにおじいちゃんの影。背中を丸めて新聞を読んでいる。この家はもう別の場所にあるから大丈夫。こうしていつでも会いに行ける。