2024/11/22

 

定時の1時間ぐらい前に内線が鳴り、別部署の人から「(苗字)さんのお母さんを名乗る人から電話が入っている」と言われて繋いでもらった。数年前に異動した前の部署で、そういえば異動したことも番号も伝えてなかった。代わりながら携帯を見たらLINEが来ていた。おじいちゃんが搬送されたから病院に行く。どこで待ち合わせられるか?と聞かれて実家の最寄りになった。どうしてなのか、定時まであと数十分を待つつもりで暫く定時を待った。15分前になって、おじいちゃんより大事な仕事があるか?と気付いて、本当は1時間単位でしか休みは取れないからあんまし意味ないんだけど、時間休取って15分早く上がらせてもらうと後輩に伝えた。駅に向かいながらまたお母さんに電話して、私は電車で直接病院に向かうことにした。その方が早かった。

両親よりも早く病院に到着すると、叔父さんが先に来ていておじいちゃんの手を握って話しかけていた。おじいちゃんはたくさん管が繋がっていて、口に酸素のをつけていて、息がとても荒かった。黙って叔父さんの隣に立つことしかできない。「来てくれたよ」と叔父さんが私の到着を伝えると、おじいちゃんは私を見た。呼吸が荒いまま、叔父さんに「ありがとう」と言い、私にも「ばいばい、ありがとう」と言った。苦しさを和らげる点滴を打っているらしい。おじいちゃんは耳が遠いから私の声は聞こえないし、いつものホワイトボードもない。叔父さんが握ってない方の手を握ると、私の手は冷えているからおじいちゃんの手がすごく暖かかった。おじいちゃんの体温を私が奪ってしまう。冷たいって思ったかな。叔父さんは「元気になって家に帰ろう」とおじいちゃんに何度も言っていた。今は緊急病棟の個室だけど、明日は一般病棟に移ると私に教えてくれた。それでホッとしてしまった。

30分ぐらい経ってからお父さんとお母さんが到着した。おじいちゃんの荒い呼吸は少しだけ落ち着いてきていた。家族揃ったのでお医者さんが来ておじいちゃんの容体を説明してくれた。以前入院した時と同じように、肺に水が溜まっている。それが両方ではなく片方だけで、多分腫瘍が原因だと思われる。もっと若ければ水を抜いたり治療するけど、おじいちゃんの場合はモルヒネで苦しいのを楽にするのが、人間らしい最期になるんじゃないか ということ。叔父さんは「それがいいね」「苦しそうなのは見ていられないので、そうしてください」と言って、お医者さんにその場でモルヒネの点滴を早めてもらった。家族が到着するまで、コミュニケーションが取れるようにゆっくりに調整してくれていたらしい。お父さんが「明日はコミュニケーションが取れないかもしれないんですか?」と聞いた。人によって違うからわからないらしい。マスクしてたけど、イケメンで爽やかで若い感じの良いお医者さんだった。

ホワイトボードは無かったけど、その代わりにコピー用紙とペンをお父さんが持ってきてくれていた。叔父さんに場所を変わってもらって、おじいちゃんに筆談で話しかけた。コピー用紙で良かった。ホワイトボードと違って、消さずにそのまんま紙が残るから。電動ベッドを起こして、寄りかかりながらおじいちゃんは読んでくれた。「また一緒におでん食べたい」「おじいちゃんが大好きだから毎週行くの楽しみにしてるんだよ」「いつもたくさんお話ししてくれて楽しい」もう話すのは苦しいから一つずつ読んで「うん、うん」って頷いてくれた。ちゃんとおじいちゃんが大好きって伝えられて良かった。

叔父さんは先に帰った。おじいちゃんが寝るまで私はいようと思ったけど、苦しくてなかなか眠れないのか、目を開けたまま微睡んでいるようだった。握っているおじいちゃんの手は私の手よりもちょっと冷たくなった。そろそろ寝たかな?と思うと急に起き上がってびっくりさせられることが何度かあった。口で呼吸してるから喉が渇くみたい。私たちが帰ってから大丈夫?水を飲むためのナースコール押せるのかな?このオレンジのボタンだって教えたけど伝わったかわからない。布団が重くて暑そうで、苦しそうだった。手を握って爪を撫でたりしながらしばらく待ったら、うっすら目が開いたまま寝ているような気配がしたので、22時近くなってから帰った。「また明日ね」と言ってから部屋を出た。

 

帰りにくら寿司に入って、カウンター席に並んでお父さんとお母さんと3人でお寿司を食べた。侍ジャパンの試合経過をお父さんがスポナビで見ていたので私も見たら、3-5で負けてたのが見ている間に5-5になった。次の打席は牧だったのでスポナビからアマプラの中継に切り替えたら、すぐに牧が満塁ホームランを打った。こんな時でもホームランを見るとこんなに嬉しいんだね。牧がホームラン打ったよってお父さんとお母さんに見せた。このホームランは忘れられない。牧ありがとう。すごくすごく美しかった。